2国目: 西中島・新庄 [摂津国]
JR新大阪駅にて西中島・新庄を国盗り。
この新大阪駅、コンコースの真ん中に豊臣秀吉公が馬印としていた「千成ひょうたん」の纏が置いてある。
秀吉がこの馬印を用いる発端となったのは、織田信長による美濃の斎藤龍興攻めだったと言われている。
堅固な稲葉山城に対し、搦め手から回り込むことにした秀吉は、腰にひょうたんをつけて陣を出た。首尾よく搦め手から二の丸近くにでると、腰につけていたひょうたんを竹の先に指し、高く掲げて合図とした。合図を機に味方の総攻撃が始まり、斉藤道三が築いた難攻不落の稲葉山城もついに落城。
この功績によって、秀吉は信長から金のひょうたんを馬印とすることを許された。1勝ごとにひょうたんをひとつ加え、千となさんというのが「千成ひょうたん」だという。
斎藤龍興は斉藤道三の孫。父の斎藤義龍は道三の子ではないと「国盗り物語」では書かれているが、実は血が繋がっていたのではないか、と示す資料もあるらしい。
この新大阪駅、コンコースの真ん中に豊臣秀吉公が馬印としていた「千成ひょうたん」の纏が置いてある。
秀吉がこの馬印を用いる発端となったのは、織田信長による美濃の斎藤龍興攻めだったと言われている。
堅固な稲葉山城に対し、搦め手から回り込むことにした秀吉は、腰にひょうたんをつけて陣を出た。首尾よく搦め手から二の丸近くにでると、腰につけていたひょうたんを竹の先に指し、高く掲げて合図とした。合図を機に味方の総攻撃が始まり、斉藤道三が築いた難攻不落の稲葉山城もついに落城。
この功績によって、秀吉は信長から金のひょうたんを馬印とすることを許された。1勝ごとにひょうたんをひとつ加え、千となさんというのが「千成ひょうたん」だという。
斎藤龍興は斉藤道三の孫。父の斎藤義龍は道三の子ではないと「国盗り物語」では書かれているが、実は血が繋がっていたのではないか、と示す資料もあるらしい。
2009-03-13 23:43
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0